大日本茶道学会

令和3年9月:見わたせば

 暑い日差しが陰り始めたころに、散歩をすると、休業を知らせる店舗の張り紙に、なぜか藤原定家の歌が浮かんできます。

 見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

 『南方録』には、紹鴎が、わび茶の湯に対して、「この歌の心にてこそあれ」と言ったと歌と紹介されています。
 休業の知らせに淋しさを感ずるのは、その店が繁盛していた時を知っているからでしょう。「花紅葉を知らぬ人の、初めより苫屋にはすまれぬぞ」という『南方録』の言葉も、続いて思い起こされてきました。
 花紅葉、すなわち、華やかで楽しくにぎわっていた経験を経ないで、はじめから粗末な家には住めないということです。

 利休がもう一首見つけたという歌も『南方録』には紹介されています。

  花をのみ 待つらん人に 山ざとの 雪間の草の 春を見せばや

 雪間の草の春とは、雪に埋もれていながらも、姿を表そうとしている春の兆しです。現在に置き換えれば、昨年来の長く続く「緊急事態」の中で自粛ムードの中でも、ムードが切り替わった時に花開いていく未来への可能性ということになりましょう。

 未来への可能性ならば、いろいろ模索はしているところです。皆様も、それぞれに工夫をなさってこられたと存じます。
 ただ、めぐる季節の花と違い、はじめての経験では、どの芽が確実に花を開かせるとは今の時点で確信することはできません。
 しかし、足元にはいつつもの芽が育ちつつあることに目を向けていっていただきたいと思います。

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