大日本茶道学会

令和3年7月:最後の決め手は

ものに触れた時の感覚を言葉にしようとしてみてください。

「柔らかい」とか「硬い」とされた方が多いでしょう。しかし、それは、触った対象がどのような性質を持っているかであって、触った時の感覚ではないのではないでしょうか。

 触れた時の感覚を言語化することは難しいので、テキストなどには記述されないことになります。しかし、テキストに書かれていないからといって、所作をするときに触覚を無視していいかというと、そうではありません。

「私は彼のくれたナプキンで口を拭ったのだ。ところがたちまち、まるで『千一夜物語』の人物が知らず知らずにある儀式をやってしまい、彼だけに姿の見える魔神、彼を遠くへ運んでくれようと身構えている従順な魔神を出現させたように、私の目の前を新たな青空の光景が過ぎていった。」(『失われた時を求めて』鈴木道彦訳 集英社文庫)

 と記したのは、マルセル・プルーストです。『失われた時を求めて』では、物語の始めに、紅茶に浸したマドレーヌによって過去の記憶が蘇ったエピソードが語られます。そして、物語の終わりになって、敷石に躓いた時に、同じように過去の記憶が蘇ったことに気付いた語り手は、今度こそはその原因を突き止めてやろうと決意しました。そして、ナプキンで口を拭ったときに再び記憶が蘇ったことに気が付き、身体的な感覚によって、失われた時を取りもどすことができたとの結論に達するのです。

 ナプキンで口を拭う触覚を最後に配していることから、プルーストは、決め手になる感覚として触覚の大切さを訴えているのではないかと気が付きました。

 プルーストにして、あの長大な小説を要したとしたしたら、私などは、倦まずたゆまず、手を変え品を変え訴えていくしかないのかと、思った次第です。

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