大日本茶道学会

【茶道コラム】第26回「触れる感覚」を追加しました

120 周年を機に 20 年振りに再版した『茶道改良論』を読み直して新たに感じたことがいくつかあります。

仙樵居士は茶道が遊芸と同じように見做されることを憂い、茶道の本来持ちたる幅広い芸術性、文化的側面を多くの人に再認識してもらうために茶道学会を立ち上げ、努力を惜しまなかったのだと考えていました。

しかし、新たに気づいた視点は、茶道に携わる人々が本来大切にすべき点を忘れていることを仙樵居士が嘆いている点にありました。

どのようにみなさんと仙樵居士が嘆かれている事柄について分かち合って行こうかと悩んでいたとき、ある吹奏楽器奏者のことばに、ヒントを得ました。

曲を奏で練習することよりも、歌口にうまく触れ音が出るかを確かめるというのです。

つまりは、毎日自分の唇の形が変化するので、唇をあてる角度を常に探らないと、音が出るかが不安なのだそうです。

その言葉を聞いてはっとしました。伝えたかったことは同じことなのです。茶道具を扱って点前をしているはずの私たちが、道具の形や大きさに関係なく常に同じように手を出し、所作をしているのです。道具にきちんと手が触れているか、持てたかを知ろうとせずに点前をしていることに通じます。

野球選手や、テニスプレーヤーも試合の際には、その日手に馴染むバットやラケットはどれかを探るかのように、何本ものバットや、ラケット中から手に馴染む一本を選んで使うことにも通じましょう。

まして茶の点前は、いろいろな形状の道具を扱います。また、毎回同じ形のものを使うとも限りません。その上、手に馴染ませてから動かすのではなく、自分の膝から手を伸ばしてその瞬間に常に形の異なる道具に沿うように手を出すのです。そう考えてみるとまったく無意識に行っていては危険そのものの点前になってしまうのでしょう。仙樵居士は、単に順番と形だけを追っていて、道具に対して無意識になってはいけないと伝えたかったのだと思います。

常に完全な形で道具と手が沿えばそれは素晴らしいことですが、よりも沿う角度を模索して所作をしようと思うだけであなたは素敵な茶人となれるでしょう。

                                             教場長 田中 仙融 (平成30年8月発行 会報「えんじゅ96号」掲載)

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